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今日も・・・

 投稿者:YAS  投稿日:2010年 6月 9日(水)00時14分10秒
  今日は怒られる。

残業時間が多い。

しかし、仕事が多くはないが、

時間が掛かる。

こんな仕事では、だめだ。

結局、残業なししても、

怒られる。

世間は、矛盾で出来ているのか。

政治も、同じく矛盾で出来ているのか。

公共事業も少しは民間に回る。

これも無くなれば・・・

どうなるんでしょうか?
 
 

回想電車おとこかー

 投稿者:ますらー  投稿日:2010年 4月14日(水)20時36分28秒
  おもしろい、なつかしい、
YASさんのブログ
 

ブログより

 投稿者:YAS  投稿日:2010年 3月 7日(日)00時25分16秒
  回想電車 特急北陸で帰る上野駅で「なごり雪」[編集] [削除]
こんばんわ、深夜になり、この時間帯は上野駅を発車した
特急北陸号は、どの辺りにいるのでしょう。

一昨日、ニュースを見ていたら、なごり雪が関東一円に降るとのことでした。

高校生のとき、遊びに行って、帰ってくるときだった。

そのとき、珍しくもみぞれ交じりの雪が降る。

ラジオが好きだった僕はラジオで流れるなごり雪を聞きながら、

上野駅を発車した特急北陸号に乗っていた。

なかなか、このような状況になるとは思わなかった。

ただ違う点は、待つ人もいない、見送る人もいない僕だった。



明日、誰か唄う人がいて、そのホームで見送る人はいるのかな、

僕は創造する。

こんな情景は、こころ和ますと共に、去りゆく北陸号が悲しい。

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 投稿者:YAS  投稿日:2010年 3月 7日(日)00時24分47秒
  最終列車は3月12日 急行能登号と特急北陸号[編集] [削除]
本日、3月12日、最終列車の旅プランを見て
本当に最後なんだな、っと思う。
そして、このプランには、特に苦な内容がある。

3月12日、特急「北陸」プラン、急行「能登」プラン
どっちかしか選べない。
僕は仕事で行けないが、行きたい気分でもある。
行ったとしたら、どちらかに乗る。

どちらかに乗るのは当たり前で、どちらかにしか乗れないのだ。
上野駅に着いたあと・・・悔やむだろうな。
あっちの方がよかったな。
あっちの方に乗ったら、やっぱあっちの方・・・
堂々巡りだ。

ツアーは最終日だけではない。
鉄ヲタの「木村裕子」の急行「能登」弾丸ツアーを
3月11日上野駅発でやるらしい。
やはり、ボンネット車の方が人気があるのか。

列車の思い出は、それぞれ。
特急「北陸」、急行「能登」それぞれに思い出がある。
思い出は、帰ってこない。
帰ってこない思い出だが、その当時に擬似的に戻る為に
再度、その列車に乗る。

最後最後にまで、悔しい最終号になるじゃないか。

3月12日、どこかの駅まで、入場券を買い、見にいこうか。

迷う、泣くかもしんない、今まではダイヤを見て、中学生や

高校生の思い出が蘇ること・・・

これさえ出来ない。

最後に乗れたとしても、どちらにも乗りたい。

そして、上野駅で迎える朝の空気を吸いたい。

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 投稿者:YAS  投稿日:2010年 3月 7日(日)00時24分18秒
  東京へ行く(急行能登号 大学生の回想編)[編集] [削除]
僕は高校を卒業し、大学生になった。
北陸の地方からは出なかったが、その大学は沖縄から北海道、
そして、外国の方々も居ました。
だから、特に田舎の街という感じはなかった。

さて、大学生になった僕が、またまた友達と東京へ遊びにいく
ことになった。

親もまったく関与もせず、親は温泉に行って来ると、
相変わらずである。


大学生になると若干、金銭面で余裕がなくなる。
学生の特権を利用することにした。
学割で急行能登号に乗ることにした。
金額は往復で1万円ほどである。

急行能登号は初めてである。
この時、乗車する人は多く、自由席の空きがすくなく、
ラウンジ車のソファで移動になった。
ラウンジ車、今の特急にはなくなったけど、飲み物など販売する
車両であった。
そして、当時でも珍しい、夜行急行列車だ。

今の一部の新幹線ではあるのかな?
中学か高校のときに乗ったとき、みやげ物を売っていたところだ。


まもなく列車が入ってきますので、白線の内側まで下がってお待ちください。
ボンネット車が入ってきた。
まぁ、その当時は臨時列車でも、たまに走っていたので、めずらしくもなかった。

がたんごとん、列車に揺られながら、北陸路を離れていく。
見える景色は、北陸号とは特に変わらない。
違うところは、座っているのはソファ、見ているのは大きな窓だけである。

これだけ東京へ行っていると、特に何も感じなくなる。
座っての移動であり、これが苦痛と言えば苦痛。
今回はソファに座っている、この能登号には幾度か乗ることがあり、
好き好んでソファに座る人が必ずいます。
ソファの方が、疲れにくいのだ。

上野駅についた、上野駅の構内の旅路だったかな?
そこで朝ごはんとコーヒーを飲む。

しばし、時間が経ち、観光へと向かう。
ある程度は色々言ったが、今回は山手線各駅停車の旅のような
ところへ出かけた。

東京へ行けば、秋葉原は必ず行く。
これだけは欠かすことはできない。
ラジ館・・・相変わらず密集しているな、と
マニアックなボックスを物色する。

急行能登号も上野駅は遅めの出発である。
ある程度、早めについた場合、色々な時間のつぶし方が
この上野駅周囲にあるのだ。
映画を見て時間を潰すことが出来る。

上野駅には、東京ディズニーランド帰りの田舎者が来ている。
今は高速バスで行かれるかたも多いが、急行能登号で行かれる
方々も多いのが、この能登号の特徴である。
やはり、ディズニーで金を使い、移動をケチると、この能登号になったのであろう。

さて、今回の急行能登号がなくなり、整備されている方がインタビューを受けた記事があった。
掻い摘んで書くと、「なくなるのは悲しい、この列車は大変強いから、ここまで走れた」
「まだ、走れる列車・・・・・」

僕も物つくり企業の社員だ。
まだ走れる列車を設計された方に敬意!
移動経費に優しい、夜行急行列車 能登号にも感謝

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 投稿者:YAS  投稿日:2010年 3月 7日(日)00時23分49秒
  東京へ行く(高校生最後の東京、人生最悪の帰路 回想編)[編集] [削除]
東京暮らし、正確には番町が最後の住処であった。

高校生最後、1月~2月が東京生活の最後であった。

さて、今回の東京へは、特急北陸号で来た。

帰りは、新幹線になった。


電話急に鳴って、受話器を取る。

高校の先生からだ。

早く帰ってこーい。(先生)

えっ(僕)

高校の出席日数が足りないぞ、この高校は単位制だからって

条件があるんだよ、それが出席日数(先生)

おぉぉーーーーーーー、知らんかった。(僕)

今日、帰ります。(僕)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

すぐに上野駅へ、乗車券、特急券、指定席・・・・を買う。

買う・・・えっ、指定が取れないの?(僕)

新幹線も、北陸線も、日が大学受験と重なっているんだよ(駅員)

仕方ない・・・




自由席で、車両を待つが、客が多すぎ。

結局、長岡まで立ってしまった。

長岡、ここで、自由席を取らなければ、足がおかしくなる。

しゅーっ、ドアが開いた、ダッシュ、ダッシュ、ダッシュ、

あぁぁぁぁぁ、間に合わない、あぁぁぁぁぁ

はぁ、立つか・・・・


最悪な帰路であった。

高校へ、先生に確認する。

たしか、単位は完璧で、後は自由にしろって言っていたよね先生に尋ねる。

はっはっはっはっのはーーーーー、出席日数の件、忘れていたと言う先生。

まぁ、後はちゃんと出席すればいいよと言うが、午前中だけ学校へ行くのも辛いよ先生を見る。

最後は形だけの卒業試験もあるし、少し勉強すればと言う先生。

はぁ、こんな形で高校生活の最後になるなんて、思わなかったよ。


考えれば、高校生活の春休み、夏休み、冬休みとそれぞれの前後は、東京生活であった。

そして、東京への行き方も、東京への旅も楽しく、できたと思う。


また、東京への旅は、これ以降もあるであろうと思い、高校生活が終わり、東京での生活も終わった。

最後だけは、北陸号で帰ってきたかった。

朝の清清しい深呼吸をしたかった。



人生の新しい幕開けを飾るには、寝台特急北陸号が最適であると

心に刻んでいたが、達成できず。


そして、お世話になった北陸号には感謝。

B寝台で他の乗客と雑談をした懐かしい思い出にも。

このような色々な東京の行き方、生き方。

今後にも、あるのかなっと思いつついた、今の人生。


今の人生から、過去に経験したことが、これから出来ないと

いう虚しさと社会の流れ。


今後は夜行列車の良さ、夜中の移動、電気で走るエコさ

で復活をしてもらいたいものだ。

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 投稿者:YAS  投稿日:2010年 3月 7日(日)00時23分13秒
  東京へ行く(高校生の東京ステイ回想編)[編集] [削除]
さて、前回、社会勉強の為、東京で暮らすように親に言われていたと

書きましたが、本当に年の3割~4割は東京にいました。

今、社会人になり、東京の何処そこへ行くとなると、体が勝手に

動いてしまう、駅の改装があり戸惑うこともあるが、気付けば地下鉄に

乗っている僕がいる。

記憶がなくなったと言っても、体は勝手にその方向へ進む。

体は覚えているのだ・・・




東京の生活では、未だに記憶が色濃く残っているところがある。

日曜日の秋葉原だ。

歩行者天国、秋葉原だ。

当時は、闊歩するメイドなんていない、秋葉原だ。

当時からパソコンとそのゲームに嵌っていた時期もあるし、

天国のような街に思えていた。



当時の秋葉原には、家電を買いにくる人々とラジオマニア、

回路マニア、理工系の大学生とパソコン関連の好きなネクラチックな人々だった。

趣味がパソコンであり、ゲームを作ることである僕を

ネクラと言うこと等、どうでもいいと思っていた。

それが趣味なのですから・・・



今の秋葉原には、昔のような店が少なくなったような感じがする。

今の秋葉原には、一攫千金を狙う人々も多くなったような感じがする。

僕は、秋葉原には、今はオタクと呼ばれるマニアな人間が来て、

それに答えてくれるマニアなショップさえ、あればいいと思う。

そうであってほしい、世間の風潮がコレが流行っているので

この店を多く作ろう、このような人々をここへ呼ぼうという

ような感じではあって欲しくはない。


そして、高校生活を脅かす、最大の危機が迫る、時期が来るとも

知らず、東京生活を送るのでした。


--------------------高校3年生の冬----------------------

リィーン(TELの音)

ガチャ(受話器を取る音)

あっ、先生!、どうしたんですか?・・・(僕)

今、何処に居る?・・・(先生)

東京ですが・・・(僕)


~~~~~~~~~~~~続く~~~~~~~~~~~~~~~

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 投稿者:YAS  投稿日:2010年 3月 7日(日)00時22分40秒
  東京へ行く(寝台車特急北陸号 高校生の回想編)[編集] [削除]
そんな東京通いも慣れてきた高校生。

今度は友達と、東京へ遊びに行くことにした。

一人のときとは違い、遊びである。

一人のときは、社会勉強の為、東京で暮らすように親に言われていたのである。


さて、遊びであるから、そんなに学校も休めない。

時期はお盆、お店はやってないだろう。

でも、時期はお盆に。

行き帰りはどうする。

そんなに学校を休めないので、夜行で行って、一泊し、夜行で帰ってくる。

丸2日、東京に居れる。

ここで初めて、寝台車のある特急北陸に乗る。

初めての寝台車である。

こころウキウキ、B寝台車。

時間も結構掛かる。

特急白山のころを思い出す。

こころウキウキ、朝の4時まで起きていた。

風景が闇に隠れているが、昔の情景を思い出す。

こころウキウキ、闇に密かに暮らす人々が窓越しに感じれる。

寝台車に乗った意味もなく、寝ようとするが窓の外を見る。


特急北陸、この列車は、夜中に発車し、夜明けに到着する。

冬には新潟の雪景色を見、都会の晴れた空を見れる。

そのようなことを見つけることに、東京へ行き来の慣れた僕に再び、

旅の楽しさという灯火が・・・



寝台車に乗っている乗客には、寝ずに窓際のシートに座っている人もいる。

そして、僕はそういう人たちを見る、そして、こころを癒される

列車に乗っている一人の乗客であることを知り、楽しむ。


陽の出ている旅には感じ取れない何か、人生の虚しさというのかを感じる。



不景気や人としての行き方を失った人達がいるこの時代、

僕は思う、

夜中に出発する人生の旅の目的地は、早朝に到着し、人生を明るくしてくれる終着駅であるべきで、

それを気付かせてくれる特急北陸号に感謝する。

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 投稿者:YAS  投稿日:2010年 3月 7日(日)00時22分12秒
  東京へ行く(高校生の回想編)[編集] [削除]
高校生になった僕が、(確か)北越を待っているホームに立っている。

新幹線に乗り継いで東京へ行くのである。



前夜、

高校生、そろそろ、自分の金で行く歳である。

親もおもしろいもので、僕には色々な経験させようっと思っているらしい。

まぁ、どうにかなるから、新幹線で行きな。

新幹線でいくことにし、切符を買いに行く。

指定席がない、まぁ最悪である状態である。

親は、まぁどうにかなるから、自由席で行きな。

初めての旅にも駅までしか送らない親、他の田舎者が大都会へ

行くような親も入場券を買いホームにいる。

この差は、責めて荷物くらい持って来て欲しいと思った僕に・・・

他の田舎者の親に声を掛けられた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

東京へ行くの?

僕)ハイ、いきますが、何か?

大変ですね、一人で行くの?、何回かは行ってらっしゃるの?

僕)特急白山で直では幾度かは。

今回は新幹線で行くの?

僕)そうですね

大丈夫かしら、うちの子は、新幹線の乗り継ぎ。

僕)大丈夫でしょう、僕の親も何とかなるっと言ってましたから

で、親御さんは?

僕)駅まで僕を送って、「じゃ」っと帰りました。

あら、大変ですね。

僕)高校生ですから・・・考え方変えれば、
山手線から中央快速に乗り換えるために走るようなもので
乗り換えれなかったら、次の電車でいけばいいもんですから、
特に問題はないでしょうね。

また、うちの子を頼みますっと言い、駅員にも同じようなことを
言っていた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

僕は自由席だ、あなたの高校生くらいの子供は、指定席だろ。

っと、僕は少し気分を崩してしまった。

そんなことも言われたことも忘れ、新幹線に乗り継ぎ(5分ほど)、上野へ着いた僕がいた。

座席を確保に真剣であった為か、記憶がない。



親は、自分で問題を解決する方法を見つけるのも、旅であるっと言ってました。

が、多分、面倒なだけでしょう。っと思った。

以降、僕がどの日、どの時間帯でどのようにして行くかは、

僕自身で決める様になっていた。



でも、旅は、何かを見つけさせてくれる出来事の一つであると

感じとった僕がいる。そして、それが旅なのだっと思った。

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 投稿者:YAS  投稿日:2010年 3月 7日(日)00時21分33秒
  東京へ行く(北陸路へ、中学生の回想編)[編集] [削除]
さて、東京を離れ、北陸へ帰るときの回想です。

イトコも北陸へ帰るとのことで一緒に帰る。

時期はお盆ちょっと前。

新幹線で帰るよ、っと一言いうイトコ。

うっこれまで乗り換えなしで行き来してきた僕。

新幹線は東海、山陽くらいしか乗ったことしかない。

このときも乗り換えってほどもない、余裕を持った状態であった。


上越新幹線にのる。

端から、どの日に帰ると決めていなかったので全て自由席だ。

座る席がすくない、イトコとは別々に座った。

やっぱ新幹線は早いなぁ・・・これはどうでもよかった。


イトコが長岡に近づく頃に寄ってきて、乗り換えだ、席立つよ。

さて、イトコが一言、席座るために少し、走るよ。


長岡に到着、おぉ、皆が走る。階段を走る。

なんとか、座れる席を確保した。

無事、北陸へ帰ることが出来、さすがに特急白山とは時間が

違うねっと思った。


これからの東京への旅に、このようなことが毎年続くとは

思わなかった僕であった。

長岡駅のあの階段は、年寄りには大変、厳しいもの。

今の駅は、バリアフリー化してきているが、利用客が安全である

駅であって欲しい。


さて、僕は少しノンビリしたところ、キビキビしたところが

あるが、乗り換えとか面倒なことは嫌いである。

発車60分前に駅に行き、列車を待つという面もある。

地方から東京へ行く場合、ほとんどが乗り換えをしなければ

ならないのも、面倒なものだ。

時間を要しても良いので、特急白山のような列車が存在して欲しい。

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