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8月のボイスキュー「頼朝」シリーズで

 投稿者:カンブン  投稿日:2009年 6月 9日(火)19時29分51秒
返信・引用 編集済
  つぎの内容でチャレンジしようと、準備中です。さらに仕上げていきます。

テーマ:「頼朝と安達藤九郎」

Q:今月は「頼朝」シリーズのお話とうかがっていますが、きょうはどのようなテーマ
でお話いただけるのでしょうか?

A:三嶋大社といいますと、どうしても源 頼朝や北条政子が主人公になりますが、
今回はあえて脇役にスポットライトを当ててみようということで、長い間、頼朝の
側近として仕えた「安達藤九郎盛長」という人物をとりあげてみました。
  三嶋大社の鳥居をくぐり石段を上がった右側に、石の柵で囲われた松がありますが、
そのすぐそばの立札に「安達藤九郎(あだちとうくろう)警護の跡」と記されております。みなさんもこの立札に見覚えがあるんじゃないかナ・・・と思います

Q:わたしもその立札は、見覚えがございますネ。その立札に記されている安達藤九郎(あだちとうくろう)
についてこれからお話いただけるわけですネ?

A:はい。それでは、早速、始めさせてもらいましょうか。これからのお話は、安達藤
九郎という人物を、頼朝とのつながりの中で、4つのポイントに絞って進めさせて
もらいます。

  ①1つ目のポイントは、安達藤九郎が、頼朝の乳母だった「比企尼」(ひきのあま)
 の長女*1 を妻にしていることなんですネ。つまり、藤九郎は頼朝の乳母だった
「比企尼」の娘婿にあたるんですネ。      *1丹後内侍(たんごのないし)

比企尼は、頼朝が伊豆国に島流しとなってからも、武蔵国比企郡の領地にもどって、旗揚げまでの20年間にわたって頼朝に仕送りを続けたそうです。大そうな頼朝
びいきだったんですネ。
藤九郎は、そんな比企尼の娘を妻にして、その縁で頼朝に仕えることになり、頼朝の流人時代からの側近であったとみられているんですネ。
また、妻がかつて宮中に務めていたことから、京に知人が多く、京の情勢を頼朝に伝えていたともいわれている。このことも、配流中の頼朝に側近として重用された一因だったのでしょう。
ちなみに、安達藤九郎は頼朝より4歳年上になります。

②2つ目のポイントは、安達藤九郎が、頼朝と北条政子の縁結びをしたらしいという
ことなんですでネ。

『曾我物語』によりますと、頼朝と北条政子の間を取り持ったのは盛長と記されているらしいんですが、どのように間を取り持ったのかは、はっきりしていないようです。
しかし、意外な裏話しが存在しているんですネ。簡単にご紹介しますと:
  北条時政には2人の娘がいました。姉の 政子 と妹の 時子 ですネ。
  姉の政子は美しいが気性は荒い。男を尻に敷くタイプだったとか・・・
  一方、妹の時子は器量は人並みだが大人しい。そして男に従うタイプだった
ようです。
頼朝は北条時政の館でこの姉妹に出逢うわけですが、頼朝の好みは 大人しい性格の妹の 時子の方だったそうです。そこで、頼朝は時子に恋文を書き、
その手紙を安達藤九郎に託して「時子に渡して欲しい」と伝えたそうです。
しかし、 安達藤九郎は手紙を 政子に渡したそうです。いずれ頼朝が源氏の
再興を果たすなら、その妻は政子の方が向いていると考えたんでしょう。
そんなこととは知らず、手紙を受け取ったとき政子は大喜びで、頼朝のところへ出かけたしょう・・・
頼朝は、待ちわびていた時子ではなく、政子が訪れてきた時、驚いたでしょう。次の瞬間に「安達藤九郎にしてやられた!」と気が付いたかもしれませんネ。
しかし、せっかく訪ねて来た政子を追い返すことは出来ず、それが二人の運命を変えた・・・まあ、そんな裏話しが伝えられているんですネ。

そして、頼朝が北条政子と結ばれることによって、このあと、頼朝にとって、北条時政がこの上ない後楯となっていったことも見逃せないでしょうネ。

③3つ目のポイントは、安達藤九郎が、頼朝の旗揚げで大活躍したことです。

頼朝は、旗揚げの前に、伊豆、相模の武士に挙兵の参加をもとめるため、安達藤九郎を使者として走らせています。こんな大事な役割を託すぐらいですから、お互いの絆の強さがうかがえますネ。
そして、冒頭にお話しましたように、安達藤九郎は頼朝の三嶋大社への百日祈願のときも、ただ一人お供して警護を勤めたそうです。
さらに、8月17日の旗揚げ当日は、頼朝は藤九郎を三嶋大社に奉弊使として旗揚げの成功を祈願させています。
このように、安達藤九郎は、常に頼朝の傍近くに仕えていた人物であったことが
うかがえ、相当な信頼を得ており、その後も、重要な用事の使者として各地に派遣されたようですネ。

④ 最後、4つ目のポイントになりますが、藤九郎は、その後頼朝が亡くなるまで、頼朝の側近として信頼され、重用されたとのことです。

頼朝が再挙して、鎌倉に本拠を置き関東を治めると、上野国の奉行人となり、また、奥州合戦にも従軍したようです。
頼朝の信頼が厚く、頼朝が私用で安達藤九郎の屋敷をしばしば訪れていることが
記録にあるそうです。また、政子からの信頼もきわめて厚かったようです。頼朝・政子ふたりの間を取り持ったぐらいですから、十分うなづけますネ。
頼朝が52歳で亡くなった後は、安達藤九郎は出家して蓮西と名乗るとともに、
二代将軍 源 頼家の宿老として幕政をバックアップしております。また、三河の守護にもなっています。
そして、頼朝が亡くなった翌年の正治2年(1200年)に66歳でなくなっています。

このように、安達藤九郎は亡くなるまで、頼朝の側近として仕えたといえますネ・・・

以上で、安達藤九郎のお話を終わらせていただきます。

  Q:ありがとうございました。
    最後に、なにかございましたら・・・

  A:そうですネ。私自身も、いままで安達藤九郎という人物をほとんど知りません
でした。今回のお話が勉強するよい機会になりました。ありがとうございました。

以上
 
 

彩の国 いきがい大学熊谷校のメンバーをガイド

 投稿者:カンブン  投稿日:2009年 6月 6日(土)05時18分7秒
返信・引用
  きのう5日、三嶋大社を小川さんと2人でガイド。
あらかじめ先方のことをインターネットで下調べして対応。三嶋大社とつながりがあり、
びっくり。

1.熊谷出身の武士 熊谷次郎直実が、元は平家についていたが、石橋山の戦いのあと頼朝
  に仕えている。そして、有名なあの一ノ谷の戦いで少年 平 敦盛を切り、後に出家する
  のである。
  もう一人、斎藤別当実盛も源平合戦に関わっており、源 義仲に仕え、のちに平家側に
  仕えたの武将で、能「実盛」で知られている。

2.彩の国 いきがい大学熊谷校は、いわゆるシニア対象としており、三島にも「いきい
  きカレッジ」があるので、これを簡単に紹介しようと、生涯学習課からパンフレット
  をもらってきて手渡した。小生もここでスペイン語講座に参加したことがある。
 

雨の山中城まつり

 投稿者:カンブン  投稿日:2009年 5月17日(日)14時32分30秒
返信・引用 編集済
  きょう5月16日は第28回の山中城まつり。
恒例の三島楽走会の山中城ランも中止となり、シャットルバスで現地に出向く。
降ったり止んだりで、スタンプラリーを含め、多くの行事が中止。ガイドの
仕事も少ない。
楽だが、チョッピリ寂しい祭りとなった。

そんな中で、城内を3回ラウンドした。1回目は自分の勉強のため、2・3回目は
ガイドを行った(計9名を案内)。
トレッキングシューズおよびゴルフ用の雨用のズボンが役立った。

復習: つぎの整理をしておこう。

 1.どうして、ここに城をつくったのか?
   ①箱根をとおる道のおさえの関所
   ②水の確保(箱根山からの地下水があちこちで湧き出た)
   ③展望がよく、下から攻めてくる敵が見やすい

 2.城の特徴
   ①石を使わず、赤土のローム土で築城・・・後北條の築城技術を駆使
   ②本丸を中心に、二の丸、三の丸、西の丸、北の丸、出丸と、それぞれ独立
    した造り(曲輪)
   ③各曲輪には、堀、土塁
 

H20年度ガイド実績のグラフ

 投稿者:カンブン  投稿日:2009年 5月15日(金)21時42分0秒
返信・引用 編集済
  総会用資料に添付するために作成依頼を受けた表記のグラフです。
ガイドをしたお客人数(=利用人数)が着実に伸びていますネ・・・
 

10日の日大中学生のガイド

 投稿者:カンブン  投稿日:2009年 4月10日(金)13時02分36秒
返信・引用 編集済
  1年生の女子を担当。自分の孫と同じ学年。まだ可愛い。
13人中、三島在住者がわずか2名。
興味をもたせるために重点をを置いたこと:
 ①3回クイズをだした。
 ②園明寺前で、孝行犬のストーリーを輪番制で読ませた。
 ③コース上の地図を使って、いま何所にいるかを確認させた(3回)。
 ④大社では、疲れ気味だったので、概略の説明を座らせて聞かせた。

嬉しかったのは、大社の神池で、カワセミがいないか「カワセミ追っかけ
カメラマン」に聞いたところ、池の反対側にいるとかで望遠付カメラで
とらえて生徒に覗かせてくれたことである。ありがとう・・・
 

1日にJR東海50+ツアーのガイド

 投稿者:カンブン  投稿日:2009年 4月 6日(月)15時08分32秒
返信・引用
  遅れましたが、概要を下記しました。
正規ルートは基本コースと逆回りで設定されていますが、①暦師の館を回ること、②大社
の桜が満開に近いことから、独断で基本コースに変更し、昼食前に少し余裕があるので、
本町タワー4階の歴史コーナにも立ち寄りました。
昼食後は超ゆっくりで、源兵衛川下流/雷井戸/梅花藻/美術館/大社/暦師の館など
をガイドしました。
8名中の2名が新横浜で新幹線を乗り間違え、名古屋を往復するハプニングがありましたが、「つばさ寿司」で合流され、折り詰め寿司を抱えてツアーをされました。
 

三嶋大社でカワセミを追っかけ

 投稿者:カンブン  投稿日:2009年 3月30日(月)21時48分43秒
返信・引用
  ガイドの事前チェックで大社に寄ったとき、神池の桜にカワセミを見つけました。という
より、人だかりなので近寄ってみたらカワセがいたのです。五分咲きぐらいの桜にとまっているカワセミは風情があります。1時間ぐらい見とれていました。途中、池に飛び込み
小魚をくわえる場面も見ました。
 

相武観光のお客さんをガイド

 投稿者:カンブン  投稿日:2009年 3月 9日(月)06時34分18秒
返信・引用 編集済
  きのう8日は、せせらぎウォークと相武観光(バス6台)のガイドが重なって、当会に
とっては総動員の忙しさだったですネ。
私も、久しぶりに赤いユニフォームを着て、基本コースを逆回りで案内しました。
コースの概略説明を、楽寿園正門から少し南下したところの歩道沿いに設置されている
デカいカンバン地図で行いました。初めてです。
 

ガイド当番

 投稿者:カンブン  投稿日:2009年 3月 4日(水)23時06分53秒
返信・引用 編集済
  きょう3月4日はガイド当番。
観光案内所につくなり、すぐに「ガイド受付票」をテーブルに置いて、電話に備える。
票の欄外のスペースに確認ポイントもメモッておく。
案の定、2件の申込みを受け付けた。バッチリ対応できた。うち1件は会のホーム
ページで知って、申し込んできたとのこと、よかった。
 

3月8日の相武観光の案内に出ます

 投稿者:カンブン  投稿日:2009年 2月26日(木)16時55分11秒
返信・引用 編集済
  27日の全体会は都合で出席できませんが、3月8日は、せせらぎウォーク、相武観光の
案内で多数のガイドが必要とのことですので、相武観光の方に出ます。
家内に託します。
 

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